921地震教育園區

國立自然科學博物館 – 921地震教育園區
http://921emt.nmns.edu.tw/
(Facebook)https://www.facebook.com/921emtFANS

1999年9月21、南投縣集集を震源とする大規模な地震を台灣中部を襲い、震源に近い南投縣だけではなく台中も大きな被害を受けました。
台湾では921地震以前は過去30年以上の間、大震災クラスの地震は起こっておらず台湾全土に衝撃が走った災害となりました。

921地震教育園區は台中市の中心部からバスで1時間の場所、台中市霧峰區にあります。地震発生当時は台中が直轄市に移行する前だったので臺中縣霧峰鄉でした。
ちなみにこの地域は稲作、リュウガン、レイシ、バナナ、パイナップル等を生産している農村です。


バスは台中火車站から統聯客運運行の市區公車50路に終点まで乗車します。所要時間は50~60分です。(バス情報
「臺中火車站」の停留所は沢山あるのでご注意を。全航客運の待合所兼停留所や巧合大飯店前の停留所です。(Googleマップ


921地震教育園區の停留所、要は駐車場です。
普通は車か、学生が観光バスでやってきます。


敷地内は公園として整備されており、乾渓という河川が流れています。


園内に到着、褐色の路面は元々グラウンドでした、

 
9月21日に訪問したので、無料開放期間でした。写真右のチケット売り場はただの案内所に。


最初に車籠埔斷層保存館に入ります。


よくある地震のメカニズムについての展示です。しかし開けた空間に目をやると…


盛り土、ではなく断層の一部分がそのまま展示保存されています。

そして外に目をやると…



地震で隆起したグラウンドが当時のまま保存展示されています。
このインパクトは実際に見ないと体感できないものがあります。

 
断層保存館を抜けるとそこには、地震で大きく損傷した建物の数々が…



「アクリルの支柱で補強してあるから外観を損ねずに建物を保存できるぜ!」という説明板。
技術に対するこだわりを感じます。


「ここは中学校だった」ということを痛いほど感じさせてくれる壊れた教室。



中央氣象局の地震計がかつて教室だった場所に設置されています。




ここからがこの921地震教育園區の凄いところ。
何と「そこにある」「実物」を「そのまま」使ってどういう現象が起きたのかというのを解説しています。
臨場感と説得力が違います。


地震に強い鉄筋の解説。
こういった技術的な解説が詳しく行われているのが面白い。


老朽化した校舎の被害状況がどれも似通っているのは何故かという解説。
しっかりとした日本語による解説があるので、おそらく日本の研究機関の協力があったものと思われます。
ざっくりと要約すると以下のようになると思います。

1966年頃はそもそも耐震性という概念すら存在しておらず、日当たりや風通しなどの環境、経済性を重視して柱の本数も適当だった。
さらに増改築が繰り返され建物が不安定になり、建物の間隔も狭く地震で揺れた際に建物同士がぶつかって被害が拡大した。

これは校舎に限らず台湾の921地震以前に建てられた建築物全般に言える事象とも言えます。


適切な補強工事の手法の解説。
残念ながら既存の老朽化した建物で適切な補強ができているものは少ないようです。

さらに進むと、そこには凄まじい光景が…









「よくこの状態で残っていたな…」と同時に「よく取り壊さないで残そうと思ったな…」というのが感想。
凄まじすぎてこれ以上の言葉は出てきません。

これが凄い点は、周囲が歩道橋で囲まれていてあらゆるアングルから眺めることができるのです。
ただ保存するだけではなく、徹底的に「見せる」ことを重視している点は、地震の凄まじさを伝えようという非常に強い思いを感じます。


まだ、続きます。次は地震工程教育館です。
正直、損壊した建物のインパクトが大きすぎるので、これより前に見学ルートを持ってきた方がいいと思います…


こちらも「実物」を使ってどうやって補強するべきなのかを解説しています。
このエリアは技術面での解説が主になります。



楽しい実験コーナー。実際に揺らしてどういった揺れ方をするのかというのが再現できます。


各種インフラの地震対策。
実は台湾でもこういったハード面での防災対策は結構進んでいたりします。
ただ、肝心の古い建物の更新などが上手く進んでいないので一見防災対策が全くなされていないように見えてしまうのが悲しいところ。


台湾にも核電廠(原子力発電所)はあるのでその防災対策。台湾でも廃止の方向へ進んでいるようですが。


こちらは影像館、写真や映像を展示・上映している施設です。






國立臺灣歴史博物館の臺日地震展ほどではありませんが、ショッキングな写真の展示は結構あります(ここではあえて載せていませんが…)



海外からの救援隊。写真下の左上と中央下が日本の救援隊です。
この時の素早い対応が以降の台灣と日本の地震による交流が活発になる大きなきっかけとなります。



地震で湾曲した集集線の線路。
921地震で破損した線路はここ以外にも何か所か保存・展示されている場所があります。


入口付近に戻りこちらは重建記録館、復興までの道のりの資料を集めた館です。


教育園區のパンフレットの隣に地震保険のパンフレットが置かれていました。
子供だけではなく大人にも教育は必要です。


そういえば、一般住居ではどうなるかの展示はありませんでしたね…




この辺りはどのような報道がされたのかという記録の展示がされています。


地震の対応で発布された政府文書など。


今までの法律や制度では対応しきれない事態が多く発生したため、災害に対する法整備が大きく進むことになります。


「加油」的なパッチワークと、震災後の記念日に発売された記念商品などの展示。
震源に近い南投縣埔里にある紹興酒の酒廠が地震で炎上し大被害を受けました。
その後何周年かに渡って記念ボトルが発売されています。

ここまで大規模な保存施設なのは、都市部から離れていたから可能だったというのもあるでしょうが、地震について本気で研究・教育をしようという意気込みが伝わってきます。
ある意味「台湾でしか見ることができない」ものなので、台中に訪れた際は遠いですが是非足を延ばして欲しいスポットの一つです。

また、この921地震教育園區に限らず台湾各地には921地震に関する施設や保存されている史跡が数多く存在します。
筆者も921地震に関わるスポットを巡っているので、このブログでも追って紹介したいと思います。

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